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2001年、SUMAxSUMAは自力で獲得した初の固定ゼッケン『31』でレースに臨む。
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| ポイント圏内で走れるようにはなったものの、レース後半でのスタミナ不足が課題となった。
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| 夏の鈴鹿8時間耐久。 ライダー憧れの世界選手権にSUMAxSUMAはスタミナ不足の解消と鈴鹿サーキットの乗り込みをテーマにSS600クラスに臨んだ。初のビッグレースと4サイクルマシンに戸惑いながらも、本番では世界の強豪を相手に大健闘! コンスタントにラップを刻み、見事クラス優勝を果たす。
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| 全日本も後半戦に突入し、SUMAxSUMAの走りが変わった。 鈴鹿8耐でGPライダーの走りを目の当りにしてから、自分の走りのイメージと長丁場でのレース配分を得てポイント獲得を確実なものにしていった。そしてこの年のランキングは20位に、さらにトップエントラントチーム権も獲得した。
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2002年。メカと2人で転戦していたチーム体制が一気に増え、GP125が5台、ST600が1台の大所帯に。 多くの仲間を得るとともに、トップエントラントチームのエースとしての責任がかかる。 |
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開幕戦MINEでは8位と自己最高位をマークするが、その後の筑波では新型エンジンのトラブルで後退。 続く鈴鹿も1ポイントしか獲得できず、地元オートポリスを迎える。 |
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オートポリスではチームの地元ということもありたくさんの声援を受け、SUMAxSUMAの気合も十分。新型エンジンの調子も上向き、表彰台を狙う! 決勝がスタートして1周目を4番手で通過し『イケる』と思ったところで、まさかのエンジントラブル発生。 3周目に突入するホームストレートでリタイヤとなった。 |
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後半戦も調子を上げることができず、この年のランキングも20位に留まり不本意なシーズンとなった。 |
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そんなSUMAxSUMAの心の支えとなったのは、一生懸命頑張っている姿に共感していただいた多くのファンの皆さんです。自分ひとりだけのレースではないと気づいたのもこの年でした。 |
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